【新任教員の紹介】巖谷睦月先生(芸術論)
< Q1> 「お名前」をお教え下さい。
巖谷 睦月(いわや むつき)といいます。
<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
担当科目は、芸術論、芸術の歴史などです。イタリアを中心とする20世紀の芸術を専門としています。長く研究を続けているのは、1899年にイタリアからの移民の子としてアルゼンチンで生まれ、幼少期にイタリアに渡り、1930年代から芸術家として活動を始めて、第二次世界大戦後にイタリアの前衛芸術の旗手となった人物、ルーチョ・フォンターナの作品や思想についてです。カンヴァスをナイフで切り裂いた作品が有名なのですが、私自身は、ネオン管で作られた作品に一番興味があります。
<Q3> 好きな食べ物は何ですか。
鮎です。塩焼きも天ぷらもうるかも、何でも好きです。毎年、夏になると鮎を食べに色々な土地に旅をするのですが、今年は行けないので、自宅で焼かざるを得ません。鮎を自力でベストの状態に焼ける技術が欲しいです。もう七輪でも買ってベランダで焼いて、一人炉端焼き居酒屋をやってやろうかと思っています。
<Q4> 好きな映画を紹介してください。
大変悩んだのですが、長くなるので二本だけ。
一つは、ルイ・マルの「さよなら子どもたち(Au revoir les enfants)」。実家の和室に山ほど転がっていた、今は亡き映像記録媒体・ビデオテープのうちの一本でした。確か、高校時代に鑑賞したのだったと思います。見てからしばらく、足を引きずって歩く少年の足音が耳から離れませんでした。その少年が好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとかではなく、「あの状況においてああするしかない」人間がいること、そう「なる」ことについて、多分、人生で初めて考えた瞬間でした。
もう一つは、ヴェルナー・ヘルツォークの「キンスキー、我が最愛の敵(Mein liebster Feind – Klaus Kinski)」。大学生か大学院生の頃に、東中野にある映画館のヘルツォーク特集を観にいった際の、最後の一本でした。ヘルツォークの映画には、迷優、とでも言っておくしかない独特の俳優、クラウス・キンスキーがしばしばキャスティングされていたのですよね。この映画は、彼が亡くなった際にヘルツォークが作ったドキュメンタリーというか……葬送の映画ですね。ああいう葬送をされる人生を歩みたいです。
<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。
二年前、アルゼンチンに学会発表に行った際、2017年のアルゼンチン国立美術館でのフォンターナ展の展覧会図録を探して美術館のブックショップを訪ねたら、学芸部に確認を入れた店員さんが「そんな展覧会はここではやらなかった」と言ってきました。多分、うまく伝わらなかったか、学芸部が面倒がって適当に答えたのだと思います。だいぶねばったものの、開催館で手に入れられず、仕方なく他の美術館のブックショップや美術書を得意とする古本屋を探し回ってなお、手に入らなかったので、諦めて日本に帰ったのです。
その後、学会で知り合ったカタログの編集者に連絡してみたところ、まさかのWordの入稿用原稿が送られてきました。その段階でだいぶ嬉しかったのですが、流石にこれは正式の文献として使うに支障があり、「図録のスキャンのPDFが欲しい」とお願いしてみたところ、学会に一緒に行ったD先生にあてて次のような連絡がきました。「展覧会に関わった他の人が持っていた図録を、日本に旅行する予定の知人に持って行かせる、その知人は京都でD先生と会う予定の人だから、D先生から図録を私(巖谷)に送って」と。
地球の裏側から、京都経由で私の実家まで図録の実物が届いたとき、嬉しくてちょっと泣きました。最近と言えるかわかりませんが、昨年の話です。
<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。
感銘深く読んだ本と、推薦したい本を同じ本にしておきます。
北村暁夫先生の『ナポリのマラドーナ』。サッカーが好きなら知っている方も多いと思いますが、マラドーナはアルゼンチン代表の永遠のスターであり、本国では彼が信仰対象の宗教まであります。
ただ、この本はサッカー好きだけが面白いという類の本ではありません。マラドーナという選手と、彼が現役時代に経験する、歴史的に極めて重要な試合について、「それがなぜ重要であったか」を歴史的・社会的な背景から解説するのがこの本なのです。イタリアの南部に特有の問題や、アルゼンチンというイタリア系移民の極めて多い国の歴史を、「マラドーナ」を軸に語る書籍といってもいいでしょう。何かを研究し、語るにあたって、いくらでも面白い切り口はあるのだと教わった本です。
<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。
今に至る進路を選択するに至った契機は二度あります。一度目は、高校時代、美術大学の油画科か彫刻科に入学しようと思って予備校に通い、基礎デッサンを学んだときです。漫画がお好きな方なら、『ブルーピリオド』の最初の方を思い浮かべてもらうと、私のやっていたことはまさにそのまま、あの感じでした。「他と比べて飛びぬけて能力がある」と思いこめるようなデッサンを描けなかった私は、絵でやろうと思ったことを、文章でやってみると、何倍も早く、望ましい形で実現できることに気づきました。ああ、これは私の手はものを作るのではなく、書くためにあるのだと確信し、美術に関わることを学んで、文章を書いて暮らそうと思ったのが、たぶん、最初の入り口でした。その時点で、研究者、大学教員、評論家あたりまでが視野に入っていたと思います。
二度目は、母校の大学院の博士課程の試験に落ちたときです。当時、面白いほど語学ができなかったので、イタリア語の試験の点がべらぼうに悪かったのが原因でした。ぼんやりした浪人生活の中で、縁あって別の大学の院ゼミに出るようになり、翌年、その大学と母校の院試をなんとか突破しました。どちらに進むかを考えるため、院ゼミの先生と面談したとき、「自分はただの観察者であって、研究者ではないのではと思うことがある」という当時抱いていた疑問をぶつけたところ、「あなたは紛れもなく研究者だよ」と即答され、素直に信じた結果、今に至ります。
<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
今般の事情により、直接、顔を合わせて話をすることのできた方は、ほとんどいないのですが……、講義に対するレスポンスや、諸々のやりとりから、「難しくてもなんとか最後までやり通そうと思っている」感じが大変よく伝わってくる点について、素晴らしいなあと思っています。
<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。
一番、印象に残っているのは、卒論から博論に至るまでの指導教員です。ああいう「適切な放任」をしてくれる方が指導者でなければ、まず間違いなく、私は途中で出奔したと思います。扱っている国が同じだけで、専門の時代は全く違うのですが、あの先生からは実にいろいろなことを学びました。
また、これはQ7と関係するのですが、浪人時代から留学時代も入れれば八年間、院ゼミへの参加を許してくださった先生も、印象深い方です。あの先生には、20世紀におけるイタリアという国を扱うにあたって必要なことを学ぶ場を与えていただきました。お二方とも、印象深い先生ですね。
インパクトの強い先生という意味では、他にもたくさんいらっしゃるのですが、お一人だけ。一年生が受講する「西洋美術史概説」を担当されたF先生は、ギリシア美術の専門家でした。数ヶ月にわたってパルテノン神殿についての講義が続いたため、一年間の授業がポンペイの壁画で終わったのはいまだに忘れられません。紀元後一世紀で通史の授業が終わる経験を、大学に入りたてでするとは思いもよりませんでしたが、いま思い出すと、とてつもなく贅沢な講義でした。もう二度と聴けないですが、もう一度聴きたい講義です。
<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。
「ロマネスク」という、だいたい紀元後1000年前後から12世紀くらいまでの芸術に対して使う美術史の用語があります。これは、フランス語のロマン(roman)を英語にしたものなのですが、なんとなく、イタリア語は語尾の感じから「ロマネスコ」だと思いこんでいました。
イタリアに留学した際、「ロマネスク様式」のことを話そうとして「ロマネスコ」を使ったら通じず、ロマネスク様式のことは「ロマニコ(romanico)」と言うのだと知ってびっくりしたのを思い出します。「ロマネスコ(romanesco)」は「(現代)ローマの」という意味で、古代ローマや、美術の様式には使えません。ちなみに「ロマーノ(romano)」だと、古代でも現代でも使える「ローマの」という意味になります。
最近、「ロマネスコ」という野菜をスーパーで見てこの記憶が蘇ったのですが、あの野菜、イタリアでよく売っています。私の住んでいたあたりでは、「カヴォルフィオーレ・ロマーノ(cavolfiore romano/ローマのカリフラワー)」と呼ばれていました。
ただ、「ブロッコロ・ロマネスコ(broccolo romanesco/ローマのブロッコリー)」という呼び名の方が一般的らしく、言われてみればブロッコリーの方が味も近いような気がしなくもありません。最初に覚えた呼び名のせいで、私の中ではカリフラワーの仲間なのですよね……これも誤解なのでしょうか。
<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
コロナウイルスですね。もう他に何も思いつかないレベルの「なんでやねん」ですよ。
<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。
5月はだいぶ過ぎてしまいましたが……そういう時はしばらく、「寝た! 食べた! 生きてる! すごい! えらい!」と全力で自分をほめてみてはどうでしょうか。物事の目標を高いところに置いて力尽きるより、その状態でできていることをほめていくほうが、気が楽だと思いますよ。やる気が出なかったり、やるべきことができなかったりすることは、生きていれば誰でもあるでしょう。そういう時は、できている小さいことをほめて、気を楽にするところから始めませんか。できないことに悩んでしまったり、落ちこんだりすると、余計にできなくなってしまうことが多いです。人間、生きているだけでもう価値があるので、今日一日、ちゃんと生存できたことをほめるのは大事ですよ。
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