2017年8月31日木曜日

 

【コラム5】食べ物が国境を越えるとき(渡部友子先生)

 昔アメリカに留学中、不思議な食べ物に遭遇しました。ブロッコリーの天ぷらです。日本料理店で注文した盛り合わせの中に入っていました。「日本でこれは揚げないよね」と大笑いしましたが、改めて「具材にできる・できないの基準は?」と聞かれたら答えに窮します。レンコンやカボチャも揚げるのですから、ブロッコリーも悪くないですよね。また数年前には、イギリスでJapanese vegetarian noodles in soupを注文したら、野菜に交じって揚げ豆腐が入っていました。菜食主義者が肉を豆腐で代用することを考えると不自然ではありません。野菜ラーメンを期待した私には違和感がありましたが、まずくはなく、この店も盛況でした。

 食べ物が国境を越えると、行った先で変化を起こすことがよくあります。これは「現地化」という現象で、上はその例です。異国の食べ物をそのまま持ち込み根付かせることは簡単ではありません。それは、同じ材料が手に入らない、同じ材料でも風味が異なる、食べる人の好みが異なる、などの事情があるからです。現地化しなければ拒絶されることもあります。例えばパンは日本に普及しましたが、もちもちの食感が好まれるためか、欧米で一般的な固めのパンはあまり店頭に並びません。

 異国の食べ物が現地化するということは、その国で特定の地位を獲得するということです。その際に、元の国での地位より高くなることが多いようです。例えば、イタリアの庶民食ピザは移民によりアメリカに持ち込まれ、そのまま庶民食として根付きました。現在は宅配食の代表的存在です。ところが宅配ピザチェーンがイギリスに近年進出した際、なぜかおしゃれなレストランになりました。またイギリスのFish & Chipsは、白身魚に衣を付けて揚げてポテトフライを添えたもので、伝統的な庶民食ですが、これを日本で注文すると少し上品な仕上がりで出てきます。同様の現象は日本の回転寿司にも起こっています。元々高級だった生寿司を庶民食にしたはずの回転寿司が、欧米に進出してSushi Barに変身しています。先日テレビでは、枝豆の軍艦巻きを目撃しました。枝豆も日本では庶民食ですが、欧米では健康志向派の高級食材になっているようです。

 食べ物の現地化は悪いことではないと私は考えます。例えばカレーやラーメンのように、外国由来でありながら日本で独自の進化を遂げた食べ物は、日本の食文化を豊かにしたと言えるでしょう。今は海外で和食が評価を高めていますが、輸出して各地での現地化を許す方が面白い展開になると思います。例えば抹茶をコーヒーと同列の飲み物にアレンジするなど、日本人は思いつかなかったでしょう。しかし現地化したものは「本物」とはどこか異なります。それが冒頭で述べた私の違和感です。食文化を発信する側は、「現地に合わせて変えて結構。でも本物を味わいたかったら本国まで来てください」と言えるだけのプライドと寛容を持つべきではないでしょうか。

投稿日:2017年8月31日カテゴリー

2017年8月10日木曜日

 

【新任教員の紹介④】井上正子先生(英語)

言語文化学科では今年、4人の新しい先生を迎えました。今回は、英語の井上先生をご紹介致します。

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
井上 正子(いのうえ まさこ)です。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
1920年代のニューヨーク・ハーレム地区ではじまった文化運動ハーレム・ルネサンスと英語圏カリブ文学を中心に研究しています。学院大では英語圏文学と文化で考えるジェンダー・スタディーズも担当しています。

<Q3> 最近嬉しかったことは何ですか。
学院大に就職できたことです。



↑奇跡のような青空が広がる真冬のヒースの丘(2013年12月)

<Q4> 研究者(あるいは教員)を志したのはいつですか。
わたしは社会人経験を経て研究の世界にはいりましたが、きっかけのひとつにニューヨークでの異文化体験があります。留学先の大学に隣接する公園で、浅黒い肌の女たちが白い赤ちゃんの子守りをしているのを見て、ショックを受けたことをいまでもよく覚えています。もともとジェンダーや人種問題に関心があったのですが、有色の女たちが白人中産階級の共働き世帯を支えるために低賃金労働を余儀なくされている現実を知り、動揺したのでしょうね。米国では、中産階級の白人が移民や有色女性の子守りを雇うことがよくあるのですが、結果として肌の色や言語文化の違いにもとづく経済格差、女性格差が助長されているのではないか。ナイーヴすぎるかもしれませんが、そう思ったんです。この頃、いろいろな文化的背景を持つバイタリティ溢れる人たちに出会って、日系や中国系、韓国系アメリカ人、ターバンを巻いたインド系、ヒスパニック系、カリブ系住民からたくさん刺激を受けました。大学の授業では、ハイチ系アメリカ人作家エドウィージ・ダンティカのBreath, Eyes, Memory(邦題『息吹、まなざし、記憶』)を読んでいて、西洋とアフリカの言語文化が混じり合うカリブ海の「クレオール」という文化現象に惹かれていきます。先生にそのことを伝えると、「ファンレターを書くといい。アメリカの作家は返事をくれるから」とおっしゃる。半信半疑で出版社に手紙を送ると、ほんとうに作家本人から直筆の返事が届いたからびっくりです。うれしくって何度もなんども手紙と小説を読み返して、いつかダンティカやまだあまり知られていないカリブ系作家の作品を翻訳して日本の読者に紹介したい、と思うようになりました。とは言っても何者でもないわたしが出版社に翻訳原稿を持ち込んだところできっと相手にしてもらえませんよね。それならいっそのこと、専門家になったらどうだろう・・・(!!)。かなり無謀な思い付きでしたが、雑多な人種や文化が出会うニューヨークの下町で受けた刺激が、いまのわたしの下地を作ったことは間違いなさそうです。

<Q5> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
案外(?)まじめなところ。

<Q6> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
着任式当日に骨折し、全治一ヶ月と診断されたことです。ところが骨折したのが足の親指だったので、踵に重心をかけて歩くだけでもじんじん痛むほどなのに、誰も気づかないし心配もしてくれない(笑)。それにしても、生まれてはじめての骨折を晴れの舞台の日にしなくても・・・と自分で自分にツッコみをいれたくなる出来事でした。

<Q7> (遅くなりましたが)五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。
新しい環境になかなか馴染めず、孤独や行き詰まりを感じることがあるかもしれません。そんな時、日常から少しだけ離れてみるのはどうでしょう。川べりの散歩でも、サイクリングでも、地下鉄で街にお出かけでも、国内外のひとり旅でも、なんでもいい。出かけた先で、人でも物でも景色でも、偶然の出会いを楽しんでみてください。わたしの場合、海外にいても行き詰まりを感じると、ふらっと鉄道の旅に出たくなってしまいます。写真はエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台となった英国ヨークシャー・ハワースにあるトップウィズンズという廃墟を訪ねた時のもの。出発地点のブロンテ博物館から往復6時間ほどかかるので、夕暮れまでに宿に戻れるかどうかうろうろしながら考えていると、偶然通りかかった地元トレッキングチームのリーダーが「一緒に来るかい?」とお声をかけてくださる。彼らのおかげで無事に目的地まで辿りつけただけでなく、パブでのクリスマス・ディナーまでご馳走になり、感謝の気持ちでいっぱいです。仕事に追われて気持ちに余裕がない時期でしたが、旅先で見知らぬ人たちの思いやりに触れて、自分を見つめ直すこともできました。なので、ふらっと小旅行はおススメです。ただし、くれぐれもセキュリティ対策は万全に。

投稿日:2017年8月10日カテゴリー