2018年12月26日水曜日

 

2019年度 スクーリング情報(6)【日本の言語文化】課題図書紹介

日本の言語文化】課題図書紹介       担当:原貴子先生

柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書、1982年4月)

本書では主に、幕末から明治時代にかけて西欧の学問や思想などを受容する際に用いられた翻訳語がどのように生み出され定着していったか、に焦点を当てています。具体的には、「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」、そして、「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」です。前者は、翻訳のために新たにつくられたことば、もしくは実質的に新造語とみなし得ることばであり、後者は、従来日常的に用いられてきたことばに翻訳のために新たに意味を付け加えたものです。

著者は、このような翻訳語の成立史を明らかにする際に、辞書に記された意味の変遷のみを追うのではありません。むしろ、辞書的な意味では捉えることのできない、人々との関わりのなかで生まれた「ことばの、価値づけられた意味」を重要視します。例えば、modernの翻訳語としての「近代」ということばの成立過程を追究する際には、「近代」に「混乱」「地獄」が見出されてきた一方で、「何か非常に偉い」ものが感じ取られてきたように、価値づけが両極端に分かれることに注目します。または、明治20年代半ばには、西洋のloveの翻訳語として「恋愛」ということばが流行しましたが、その頃、「恋愛」は従来の日本の「色」「恋」とは異なるものと捉えられ、「色」「恋」が蔑まれる一方で「恋愛」は高尚なものと受け止められました。著者はこうした、人々がその翻訳語をまだ十分に使いこなすことができずに、逆に翻訳語に人々が動かされている段階に着目して、その段階におけることばの意味、「広い意味での文脈上の働き」を中心的に取り上げていきます。

したがって、本書は、societyやlibertyなどをはじめとするそれまでの日本にはなかった新しい概念が西欧からもたらされた際に、当時の人々がいかに格闘して時に変容させながらも自らのものとしていったか、その過程を臨場感をもって味わわせてくれると言えるでしょう。本書を通じて、これまで何気なく使っていた日本語の歴史的背景の一端を知ることができます。

石原千秋『『こころ』で読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生』(朝日文庫、2013年6月)

本書では、第1章~第3章にかけて『こころ』本文の精緻で時にスリリングな読解が展開されます。

第1章では、先生を「大人になれなかった」人物と捉え、先生は「Kを乗り超えることで「大人」になる儀式をすませようと思っていた」からこそ、Kの自殺に対して過度な罪悪感を抱くことに繋がったと著者は論じます。では、著者の言う「大人」とはどのような意味なのでしょうか。

第2章では、青年が、先生の遺書に「妻には何も知らせたくない」と書かれてあったにもかかわらず、その禁を破って先生の遺書を公表しようとすることに著者は注目します。それが可能であったのは、青年が先生の遺書の核心に気が付いたことによって、先生を乗り超えて「大人」になったからだと論じます。では、青年を「大人」へと成長させた先生の遺書の核心とは、何でしょうか。

第3章では、静は、先生とKとの過去について「みんな」知っていた可能性があると著者は主張します。青年が手記を書いている現在は、静に恋をして一緒に暮らす間柄になったからこそ、実は静が「みんな」知っていたことを把握しており、それゆえに「いま」は静を「批評的」に見ていると論じます。

第4章では、『こころ』を漱石文学全体のなかで捉えています。著者は、漱石文学の多くは「遺産相続をめぐる物語」が主軸であると指摘します。著者の言う「遺産相続」とは、「家督相続」「趣味の相続」「「真実」の相続」の三種類です。そして、『こころ』は、青年が先生から「真実」の相続を果たした物語であると言います。では、その「真実」とは一体、何なのでしょうか。

第5章では、朝日新聞社が期待した新たな新聞購読者層と夏目漱石が想定していた読者層の内実を明らかにしています。それが「ある程度の教育を受けた若い男性」であったからこそ、『こころ』を含む漱石文学では、女性という謎がよく扱われるのであると著者は結論づけます。

本書を通じて、小説を研究として読むことの奥深さや面白さを体験することができるでしょう。そして、小説のことばの意味を確定するには、その当時の文化的背景を調べる必要があることを実感できると思われます。

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